金剛峯寺奥殿や常喜院の建造物13件が国登録有形文化財に登録されます
国の文化審議会は、令和6年11月22日(金)に開催された同審議会文化財分科会の審議を経て、下記の13件の建造物の国登録有形文化財(建造物)の登録について文部科学大臣に答申されました。
金剛峯寺 9件
奥殿、別殿、応接室、奥殿渡廊下、阿字観堂、新書院、真松庵、勅使門、奥殿塀
〔所在地:高野町大字高野山132番地ほか ,所有者:宗教法人 金剛峯寺〕
常喜院 4件
本堂、客殿、拝殿、山門
〔所在地:高野町大字高野山364番地ほか ,所有者:宗教法人 常喜院〕
奥殿等の金剛峯寺の9件は、重要文化財(建造物)金剛峯寺本坊の西側、行人方の中心寺院であった興山寺跡に、迎賓施設として整備された建造物群です。迎賓施設として整備されたこともあり、全て良質な建造物であり、高野山を代表する近代建築群です。
奥殿等が建ち並ぶ興山寺跡の敷地は、明治5年に興山寺が火災で焼失した後、真言宗古義大学林(後の高野山大学)を経て、昭和9年の弘法大師御入定1100年御遠忌の記念事業として、奥殿、別殿、奥殿渡廊下、勅使門、奥殿塀が迎賓施設として整備され、その後昭和40年の高野山開創1150年記念法会の記念事業として、新書院、真松庵、応接室が整備されました。さらに昭和42年には、高野山唯一の阿字観専用施設として阿字観堂が建てられています
特に皇族等の貴賓用の客殿として建てられた奥殿は、良材を多用し、玄関に近代的な和洋折衷の空間を備えながら、蟇股など随所に古式な要素を取り入れた復古的な近代和風建築であり、旧興山寺跡に建物群のなかでも特に重要な建造物です。また、現在は、奥殿の周囲を昭和59年に整備された石庭の蟠龍庭が囲い、石庭と建造物群が一体となり、総本山寺院に相応しい迎賓施設群の景観を形成しています。
常喜院は、金剛峯寺の塔頭寺院の一つで壇上伽藍の蛇腹道に南接する寺院です。寺伝では、空海の十大弟子の一人の実慧の開基とされています。かつては往生院谷に所在していましたが、火災等により明治3年に最勝院のあった現在地に移転しました。
境内には、本堂、客殿、拝殿など幕末から近代にかけての良質な寺院建築の他、かつて金剛峯寺本坊の北に位置した行人方の東照宮の経蔵を移築した常喜院校倉(和歌山県指定文化財)が所在し、昭和30年頃に建築された山門と併せ、歴史ある塔頭寺院に相応しい寺院景観を形成しています。
特に常喜院本堂は、火災に対応するための土蔵造、本堂の他、護摩堂を備えた複合仏堂であるなど、高野山の塔頭寺院の本堂建築の特徴がよくみられます。