消防組沿革誌石碑と拓本
消防組の沿革が刻まれた石碑
高野町消防組沿革誌
高野町消防組ハ明治十六年火消方ヲ金剛峯寺ニ設ケタル監觴(かんしょう)トス當時消防器具未タ發達セス纔(わずか)ニ龍吐水(りゅうとすい)二臺(だい)ト水籠(みずかご)及大團扇(おおうちわ)トヲ備フル而巳(しかるに)概(おおむね)ネ本山出火ノ職方(しょくかた)ニシテ其(その)數三十人ニ過キズ、明治二十七年消防規則發布セラルルヤ去ル二十一年ノ大火ノ鑑(かんが)ミ直ニ腕用喞筒(わんようそくとう)一臺(だい)ヲ購入シ公設高野村消防組ト改稱(かいしょう)ス初代組頭中谷伴吾氏也 二代木村富松氏三代山本音治郎氏四代松島楠太郎氏ヲ經テ同四十一年辻本助太郎氏組頭ニ就職スルニ及ムテ特大腕用喞筒(そくとう)ヲ購入組員六十名ニ増加シ梢體制(しょうたいせい)ヲ調(ととのえ)ツ(る) 大正三年辻本兵吉氏組頭ト為リテヨリ甫(はじめ)メテ十七馬力尾斯喞筒(おかくそくとう)ヲ購入ス是レ實ニ關西ニ於ケル嚆矢(こうし)也大正九年同廿馬力一臺追加百七名ニ増員シ之ヲ三部制ニ改ム是ニ於テ其設備實力縣下有數ノ班ニ列ス 其俊更ニ四十馬力及牽引車(けんいんしゃ)ヲ購求電力警鐘臺及報知器ヲ新設シ復(かさ)タ(ねて)救護隊ヲ組織スル等斤(きん)ソ警戒防禦(ぼうぎょ)ニ必要ナル設備漸派(ようやく)完整シ消防手ノ訓練益熟達ス縣其成績ニ徴シ名譽ノ金馬簾(かねばれん)ヲ授ケ又優良組合トシテ表彰セラルルニ至ル 由來當山ハ大火多々全山焦土ニ歸セシコト古來(こらい)幾回ナルカヲ知ラズ爰ヲ以テ總本山金剛峯寺ハ消防ノ為ニ巨財ヲ惜マズ山民之ニ協力シテ常ニ率先新鋭器具ヲ購ヒ亦後援會(こうえんかい)ヲ組織シテ激勵スルアリ近年偶火ヲ失スルモ直ニ消止メテ類焼ヲ防ギ又昔日ノ如キ惨事ヲ見ス是レ全ク消防組ノ偉力ニシテ霊山保持上須臾(しゅゆ)モ闕(か)ク可ラサル機關タリ 然(しか)ルニ今次支那事變勃發(しなじへんぼっぱつ)以來國民總動員シテ聖戦ニ邁進(まいしん)スルノ秋警防團ヲ組織シテ防空消防ノ機關ヲ統一ス本消防組モ之カ為ニ解組スルノ巳(や)ム無キニ至レリ於是(ここもと)沿革ノ梗概(こうがい)ヲ勒(ろく)シテ以(い)テ後昆(こうこん)ニ傳(つた)フ矣(なり)
維時昭和十四年三月三十一日
高野山消防組後援會長徳守清鳳識 土生川錦石書