4月1日(昭和2年) |
長野県より講師を招き土産品講習会を開く。山葵漬の発売決定。 |
4月2日(昭和30年) |
女人堂で小豆島石材の金剛峯寺別格門落成式。 |
4月3日(昭和23年) |
相ノ浦小では和歌山市南川電気店より国民型6号1600円のラジオを購入。 |
4月4日(昭和15年) |
国民精神動員中央連盟はこの日を中心に植樹報国運動を行う。 |
4月5日(大正8年) |
樫原分教場を取消、杖ヶ薮小学校に合併、認可される。 |
4月6日(昭和20年) |
湯川小運動場を一部開墾し甘藷床設置。 |
4月7日(昭和15年) |
花坂小では皇紀2600年記念事業として山林購入し、檜苗千本を5ヶ年計画で造林。 |
4月8日(大正10年) |
高野郵便局交換手の怠慢により電話不良。加入者陳情する。 |
4月9日(大正2年) |
筒香婦人会発会式。 |
4月10日(昭和14年) |
町内中堅男子300余名小学校講堂に参集し高野山警防団結成式。 |
4月11日(大正5年)
| 臨時大法会開白。法会後高野山中学林と新宮中学生はテニス試合を行う。 |
4月12日(明治13年) |
細川の薬師寺に寺子屋的学校を創設。 |
4月13日(昭和2年) |
青い目の人形が県に到着し富貴・高野山小学校へも配布される。 |
4月14日(明治39年) |
百歳の老婆、九州の田中ニソ氏、高野山に登山。 |
4月15日(昭和16年) |
第6回愛林日。女人堂・大門・一の橋に宣伝アーチを、山内中央にはアドバルーンを設け、数千枚のポスターを配布。 |
4月16日(昭和11年) |
陸軍省医務長登山し、高野山古代の水道施設である筧を視察。 |
4月17日(昭和15年) |
西細川小で町主催の満州移民講演及び映画の会開催。 |
4月18日(昭和17年) |
本土初の空襲。警報発令のため警防団員警備。 |
4月19日(大正14年) |
大阪朝日新聞社の高野山登山会員850余名登山。朝日デー。 |
4月20日(昭和12年) |
根本大塔の落慶法要。高野電車は細川・高野山駅間に美人案内ガールを2名乗込ませ説明サービスを行う。 |
4月21日(昭和7年) |
乗合自動車運転計画により、山上人力車夫のデモ行進。 |
4月22日(昭和5年) |
富貴村方面山間部で桑園70町歩が降霜により全滅。 |
4月23日(大正9年) |
高野山電灯会社当局による2月初旬以来の暗黒高野山にいよいよ点灯。 |
4月24日(昭和2年) |
高野山糞尿処分問題につき大阪衛生試験所長ら登山し実地検分。 |
4月25日(大正8年) |
これより30日まで花坂小児童麻疹大流行のため休校。 |
4月26日(昭和15年) |
日高郡切目村拓殖道場へ高野町満州移民第一次先遣隊が入所。 |
4月27日(明治40年) |
富貴村で乾繭場の設置補助申請。 |
4月28日(明治35年) |
花坂小建築起工式。全て国有林高野山内鳴川谷での損木特売建築用材でまかなう。 |
4月29日(昭和16年) |
富貴小の第3学年以上の児童全員で、富貴青少年団を結成。 |
4月30日(大正4年) |
高野登山鉄道は大阪高野鉄道株式会社と改称。 |