5月1日(明治45年) |
大滝の龍福寺を仮校舎とし小学校開校。 |
5月2日(昭和19年) |
相ノ浦小学校で製造する木炭のうち10俵を供出。高野山へ。 |
5月3日(大正15年) |
富貴村臨時村会。県道路問題につき阪合部村との決議報告及び戸数割の件につき。 |
5月4日(大正8年) |
官工斫伐事務所で入山式。中の橋からトロッコで往復。余興に神楽、餅投げがあり、夜は浪花節。 |
5月5日(昭和20年) |
湯川小に防空壕完成。 |
5月6日(昭和31年) |
山内協議員会開催。高野山内バス乗入反対。 |
5月7日(慶応3年) |
高野山酒店の最初である辻栄商店が初代栄助により創業開始。 |
5月8日(昭和32年) |
海外移住の啓発懇談会が相ノ浦小において開催。 |
5月9日(昭和22年) |
高野山中学校杖ヶ薮分校開校。杖ヶ薮小卒業生が進学。 |
5月10日(明治35年) |
大隈重信は地方遊説のため高野山に登山。本願院の出迎え。 |
5月11日(明治18年) |
戸長役場からの伝達。旧女人道内のおよそ134万坪の官有地が高野山境内と認可につき。 |
5月12日(昭和17年) |
金属回収令第六条が発動。 |
5月13日(明治45年) |
十津川索道架設許可。 |
5月14日(昭和17年) |
満州高野分村開拓本隊が出発する。白藤小生徒は神谷駅で見送り。 |
5月15日(大正14年) |
富貴村大字西富貴で杉檜300本の表皮が大熊の仕業で剥がされる。 |
5月16日(昭和28年) |
女人堂坂に32基の青銅献灯が完成。関前官導師で点灯式挙行。 |
5月17日(昭和33年) |
珍鳥の学名上の仏法僧が高野山で捕まえられる。 |
5月18日(大正7年) |
高野村大字細川の龍盛鉱山は大正5年より事業開始しているがこの日は白銅線の試掘を行う。 |
5月19日(昭和6年) |
46歳の谷崎潤一郎、二度目の高野山登山。約130日間の滞在で『盲目物語』ほか2編の短編を創作。 |
5月20日(明治36年) |
井上馨伯爵は随行26名と高野山へ。 |
5月21日(昭和18年) |
高野山家政女学校による建艦献金。参拝者の寄付を得る。 |
5月22日(昭和32年) |
数珠四商店階上で町村合併反対期成同盟の委員会が開催。 |
5月23日(昭和2年) |
花坂区民合同運動会開催。 |
5月24日(昭和16年) |
商業報国会高野山支部が結成される。国民学校において結成式。 |
5月25日(明治37年) |
第四回戦捷祈祷が山王院において執行される。 |
5月26日(大正12年) |
極東オリンピック大会総裁の秩父宮殿下が高野山へ登山。 |
5月27日(昭和4年) |
海軍記念日。訓話後、杖ヶ薮小と高根小とで合同運動会開催。 |
5月28日(昭和15年) |
ラマ僧教育のため、高野山千手院谷民有地に木造二階建ての校舎兼寄宿舎建立を出願。満州政務院興安局の依嘱による。 |
5月29日(昭和12年) |
高野山墓地整理委員会開催。大師ゆかりの泣き地蔵の移転場所を評議。 |
5月30日(昭和15年) |
高野山小学校において女子青年団の結成式。 |
5月31日(昭和5年) |
上筒香の高さ10mの巨樹椿が天然記念物の指定を受ける。 |