7月1日(大正8年) |
杖ヶ薮小・富貴小において平和克復祝賀式挙行。 |
7月2日(昭和15年) |
高根、杖ヶ薮地区に電灯がつく。 |
7月3日(明治45年) |
西細川小婦人会の発会式。 |
7月4日(昭和27年) |
高野山覚海谷附近の金剛峯寺木材置場で無断木材搬出事件。 |
7月5日(昭和29年) |
高野山中学で山林を購入し学校林を設ける。所在地相ノ浦。 |
7月6日(大正2年) |
自転車競技会開催。 |
7月7日(昭和11年) |
北支に蘆溝橋事件が起こる。高野山各住職等代表町民が小学校庭に集まり、八坂神社の社掌斎主による皇軍武運長久祈願。 |
7月8日(昭和13年) |
高野山にドイツのヒットラー青少年団70余名が登山参詣。団旗を揚げ、ラッパ・太鼓を打ち鳴らす。高野山小で歓迎余興。 |
7月9日(昭和7年) |
湯川小校歌制定。第九代校長胡麻政和氏による作詞、芳子夫人による作曲。(昭和26年に再作曲) |
7月10日(昭和9年) |
東京角力の錦華山、楯甲、一行80余名が高野山に来山。鶯谷入口、大学寄宿舎前の大広場において大挙行。 |
7月11日(明治14年)
| 女人参籠所が現大学のある上ノ段に建立される。 |
7月12日(明治45年) |
富貴村では明治天皇の快復を鎮守丹生神社において祈願。 |
7月13日(昭和2年) |
堺市大浜公会堂で開かれた南海日給従業員大会により、一部従業員約700名が罷業を決行、高野山へ向かう。 |
7月14日(昭和20年) |
高野町農業会主催映画会。 |
7月15日(昭和20年) |
花坂小は草履を供出。和歌山戦災者へ。 |
7月16日(昭和15年) |
紀元二千六百年記念事業として実科高女創設が発起人会で決定。 |
7月17日(昭和29年) |
新しい大師盆踊り案出「大師ならこそヨササノサ・・・」試踊会。 |
7月18日(昭和28年) |
大水害。被害甚大。 |
7月19日(昭和2年) |
高野線従業員が下山。総本山金剛峯寺から南海電車本社に電報「ゼンブゲサンシタ コンゴブジ」。 |
7月20日(昭和18年) |
高野山中学4・5年生が摩尼射撃場で実包射撃を実施。 |
7月21日(大正2年) |
月刊誌『高野学報』発刊。祝に、かや油発売元祖高野山小堀富士之助商店、松永春生堂、木澤写真館、平田順敬堂の広告あり。 |
7月22日(昭和15年) |
伊都、那賀両郡一円、防空訓練を実施。灯火管制をなし焼夷弾・ガス弾投下を想定、敵機空襲の伝達など本格的訓練を行う。 |
7月23日(昭和25年) |
高根小文集「たかね」創刊号発行。 |
7月24日(昭和13年) |
相ノ浦青年学校の校旗が三越商店にて調製、出来上り到着。 |
7月25日(明治3年) |
五条県から天朝役人という者が真別処の和上栄厳律師を侍僧ら4人と共に拘引。奇怪なる祈祷を修した嫌疑による。 |
7月26日(昭和18年) |
筒香青少年教育振興会結成発会。 |
7月27日(昭和16年) |
星祭りは迷信行為ではなく、差し支えなしと宗務所が決定。 |
7月28日(昭和11年) |
日本一の大燈籠、献灯式。 |
7月29日(昭和17年) |
第一次戦捷祝賀ボール(18個)着。西細川小児童に分売。 |
7月30日(昭和33年) |
白藤小児童全員河根の川で水泳練習。帰り電車で帰校。 |
7月31日(昭和31年) |
高野町公民館主催映画会を湯川小で開催。 |