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高野町史 『今日は何の日?』・・・9月編

9月1日(昭和31年) 高野山小学校校歌(安西冬衛作詞、野口源次郎作曲)制定。
9月2日(昭和3年) 「筒香婦人会」発会式挙行。
9月3日(昭和4年) 富貴村軍人会では富貴小学校で銃剣術競技会を開き、久保・前中・四谷の三氏が優勝する。
9月4日(大正元年) 「大滝分教場」を設置し開校する。
9月5日(文久3年) 夜から6日にかけて天誅組の武士百数十人が富貴に攻めてくる。
9月6日(昭和20年) 「相ノ浦新青少年団」結成式。
9月7日(昭和14年) 花坂小裏庭にブランコ完成。鉄棒も寄贈される。
9月8日(大正9年) 朝鮮人・全仁華が杖ヶ薮小に来校。児童に朝鮮の風俗人情を講話する。
9月9日(大正2年) 高野郵便局の通話区域拡張。呼出料10銭。通話料10銭。
9月10日(大正14年) 高野山の「上の段」で風呂屋が全焼する。
9月11日(明治18年) 木挽職人が食料確保のため、山内で野菜の種子を蒔いたが、見つかり告発される。
9月12日(昭和19年) 湯川小学校で夜、棕櫚皮ハギについての協議会が開かれる。
9月13日(大正13年) 相ノ浦で忠魂碑除幕式。
9月14日(大正11年) 第一回奥の院御廟前の献茶式。
9月15日(昭和29年) 神谷簡易水道完成。学校に設備する。
9月16日(昭和30年) 相ノ浦の前川橋、渡初め式。
9月17日(昭和19年) 南院から献納の戦闘機は波切不動号と命名される。
9月18日(大正3年) 鹿子木和歌山県知事赴任し、初めて登山する。村長と分署長、神谷まで出迎え。
9月19日(明治37年) 高野小林区署にて、高野山国有林枯損木の入札をする。
9月20日(昭和17年) 霊場高野を火災から守るため、日本式高厭三段タービン自動車ポンプ1台を1200円で購入。
9月21日(昭和9年) 室戸台風襲来。開通直後の玉川林道は決壊。奥の院燈籠堂に大木が倒れるなど被害甚大。
9月22日(大正6年) オックスフォード大学・セース教授が登山。「高野山を見ずんば、日本の文明と説くなかれ」と言う。
9月23日(大正元年) 富貴の194.5ミリの暴風雨。
9月24日(昭和21年) 細川区民学校、薪供出のため高野谷へ行く。
9月25日(昭和17年) 27日まで高野山安養院で、高野町主催の拓殖講習会を開催。満州高野村分村へ花嫁として渡満希望の女子青年団を集めて開催。
9月26日(昭和23年) 高根小にてナトコ映画機披露映画会。
9月27日(明治3年) 真別処祈祷事件で衆徒の出山の禁も解かれ、栄厳和上も翌日無事帰山。
9月28日(昭和21年) 平和復興行事。戦災引揚者慰安社会事業資金募集の演芸大会。
9月29日(昭和19年) 相ノ浦小初4以上樹皮繊維採取。極楽橋へ。
9月30日(昭和10年) 根本大塔に如意宝珠奉納される。大塔九輪の下、上部芯柱の基部へ。
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