高野山の水道
高野山の水道
高野山の水道の歴史は古く、弘法大師空海が弘仁7年(816年)に真言密教の根本道場として開創以来、谷川の豊富な水を竹管で取水し生活用水として使用していましたが、大正14年に高野下まで鉄道が開通したことにより、修行の町から観光の町に変貌、観光客が急増し御殿川の水質汚濁により伝染病が発生したため、上下水道の整備が急務となり、昭和8年に認可を得て相ノ浦峡谷に貯水池を設け、緩速ろ過で処理し配水池から高野山地区に昭和11年11月1日に給水しました。
第一次拡張
昭和28年7月28日に和歌山県北部の豪雨により貯水池が埋没し復旧のめどが立たず、安定した水源である奥之院御廟前を流れる玉川から取水する計画を立て、玉川の下流に玉川浄水場(緩速ろ過)1,140㎥/日を建設、昭和30年11月に給水を開始、これにより約2年間の給水制限が解除されました。
第二次拡張
渇水時の取水量確保のため、昭和36年に真別処谷水源を拡張、また、相ノ浦貯水池・浄水場の再整備等を昭和40年に行い水需要に対応してきました。
第三次拡張
近年の給水量の増加、水源上流部での立木伐採による水源の枯渇とフミン質に起因する色度の増加等の水質悪化にみまわれ、水源を確保すると共に水質汚染も重要な課題となり、上水道施設の見直しを行い、平成4年8月に高度浄水(オゾン)処理を導入した高野山浄水場、平成7年度に渇水時の予備水源として北桶谷取水場の整備を行いました。
また、相ノ浦浄水場は日最大、渇水時の給水量を確保するために稼働していたが、水質基準に適合しないときがあり、平成9年5月に膜ろ過処理を採用した新設の相ノ浦浄水場を運転開始し、安全でおいしい水道水の供給に努めています。
「上水道」から「簡易水道」へ移行
昭和11年11月1日から給水開始した「高野山上水道」を令和4年4月1日に「高野山簡易水道」に移行しました。
高野山上水道の給水人口が「上水道」の要件である給水人口5,001人以下(簡易水道)となったこと及び「簡易水道」には「上水道」にはない、施設更新時の国の補助金制度があります。
第三次拡張事業まで、給水量の確保、良質で安全・安心して飲める水道水の供給に努めてきましたが、給水人口・観光客の減少等に伴う料金収入の減少、今後控えている管路更新時の事業費の国費の補助制度活用等を総合的に判断しました。
花坂地区簡易水道
現在の花坂地区は、表流水を沈殿処理し生活用水として使用しています。地区には一般住宅、小学校、商店が存在する地区で、安全で安心して飲用できる水道施設の整備が急務です。高野山簡易水道区域に花坂地区を追加し令和6年4月1日を給水開始予定年月日として事業を開始しています。
水道事業認可概要
高野山簡易水道 | 富貴簡易水道 | |||
計画給水人口 | 2,140 人 | 820 人 | ||
計画最大給水量 | 2,190 ㎥/日 | 302 ㎥/日 | ||
計画取水量 | 6,270 ㎥/日 | 332 ㎥/日 | ||
貯水施設 | 19,000 ㎥ (相ノ浦貯水池) | ー | ||
浄水施設 | 高野山浄水場 | 富貴浄水場 | ||
供用開始日 | 平成4年8月1日 | 平成8年5月17日 | ||
高度浄水(オゾン) | 3,700 ㎥/日 | 膜ろ過 | 332 ㎥/日 | |
相ノ浦浄水場 | ー | |||
供用開始日 | 平成9年5月20日 | ー | ||
膜ろ過 | 1,250 ㎥/日 | ー | ||
花坂浄水場 | ー | |||
供用開始日 | R6年度(予定) | ー | ||
膜ろ過 | 58 ㎥/日 | ー | ||
配水施設 | 高野山配水池 | 384 ㎥ | 配水池 | 257 ㎥ |
高野山新配水池(計画) | 1,600 ㎥ | ー | ||
相ノ浦配水池 | 347 ㎥ | ー | ||
花坂配水池 | 80 ㎥ | ー | ||
管路施設 | 導水管Φ500㎜未満 | 5,815 m | 7,606 m | |
送水管Φ500㎜未満 | 1,660 m | 680 m | ||
配水管Φ75㎜~250㎜未満 | 21,176 m | 8,930 m | ||
配水管Φ250㎜~500㎜未満 | 1,430 m | ー |
簡易水道
富貴簡易水道
富貴地区は、高野町の北東部に位置し、主に農業、林業の山村で昭和33年に高野山と合併した地区で、簡易水道は昭和35年より給水開始しています。
昭和44年に渇水時の取水量を確保するため拡張工事を行い、平成2年度より有収率向上のため管路更新、平成8年度に先進的な浄水処理(膜ろ過処理)を採用した浄水場の建設、また、平成13年度には配水池を建設し、災害時の飲料水の確保、安全で安定した水道水の供給に努めています。